50歳を丁寧にこつこつと

中学受験が終わりましたので、日々の生活を大切に

義母施設へ

すなまるです。


2021年は2011年から同居していた義母が施設に入りました。

同居と言えども、

食事別、洗濯機、冷蔵庫、トイレ別。

お正月、お誕生日、クリスマスなどは一緒に食事をしていましたが、

普段は母家と離れで、あまり顔を合わせることもない感じでした。

とにかく、お元気で、

単車に乗り、
旅行にも行き、
1年に2度、夜行バスで島根にも里帰り、

宗教活動もして、←義母だけ入信してました
私が入院中は、

息子を学童へお迎えにも行ってくれていました。
2018年まではそこそこ大丈夫だったのですが、
2019年からどんどん老化と痴呆が目立ち始めました。
まず単車をどこに置いたか分からなくなる、
単車で転んでけがをして、免許を返上。
ATMの利用が難しくなり、
夫が成年後見人となり、年金を管理するようになる。
家族の留守中にケガをする。
ケガをして歩けない状態でも、どうしてケガをしたかが分からない。
肩の骨折から足の骨折、尾てい骨にひびが入りと立て続けに病院のお世話になりました。
骨折しても驚異の回復力で手は上がるし、歩けるようにもなり、退院。

しかし、退院後が大変で、

泥棒に入られたと言い出したり、

おむつの癖がついているけれど、

買ってあったものは使わない。

使用済みの紙オムツを義母の洗濯機で洗って干してあったりとなんでこんなことしたの?のオンパレード。

部屋を1階にしたのに、

2階に上がり、

探しに行ったら、

テレビを見ていたと言われたり。

テレビも1階に移動して2階の部屋にはありません。
骨が折れやすくなっていて、一人で家に置いておけない状態に。
しかし、
デイサービスいや、
ショートステイいや、
補助車いや、
訪問介護いやといやいやばかり。


尾てい骨にひびが入ったときに、大騒ぎになって、救急車を呼び、
2週間の入院予定がすぐに動き回って、強制的に退院となったときに、
もう無理だとなって、施設にお世話になることになりました。

施設も近いと帰ってこられるので、

少し遠く、

自由で、

お買い物もできて、

お散歩もできるところを探しました。


結果として、要介護2だったのが1になり、
拒否されていたお風呂も週に3回きちんと入り、
お友達もでき、規則正しく、栄養ある食事をとるようになって、
とっても元気になられました。

嫁の存在は消されましたが、

私はしまむらで下着やスリッパ、スニーカーなどを買ったり、

義母所有の膨大な服から着れそうなものを洗って施設に届けたりしています。


今年89歳。
悠々100歳まで余裕で大丈夫そうです。